平和の種(peace-seeds) diary

こちらは、長崎のカトリック西町教会所属の青年会「平和の種」の活動を中心に紹介するものです。

五月は聖母の月

今月はロザリオの月ですね。

私達の教会では、土曜日と日曜日の御ミサの30分前からロザリオを捧げます。

 

私が子どもの頃は毎日の授業が終わり次第、大御堂へ集まりロザリオを唱えたものです⛪️

 

それが今では信者の子が少ないと言う点、放課後は塾や習い事で忙しい等との理由で、毎日集まる事は難しくなりやらなくなったようです😢

青年会も何とかしたいのはやまやまなんですが、中高生も部活等で忙しいですし難しい問題ですね😩

 

それでも何人か集まれないかと只今思案 調整中です。

メンバー紹介

 

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こちらは3年前のバザーの時の写真です。

現在はこの内2名が大学進学で退会、2名が県外への就職となりました。

この春より新たに2名が参加してくれています。

名簿上、今現在の会員数は26名程ですが、全員の集合写真等はまだありません。😓

この会には中高生から社会人迄が参加している為、なかなか全員が集まるのは難しいんです。本来なら中高生と社会人のグループに分けるべきと思うのですが、最近の中高生は部活や塾・習い事等何かと忙しく人数が揃わない為、このような形となっています。

 

リーダーは、他の長崎教区の青年会に合わせるべく20代としました。

因みに私は最年長な為、裏方にまわると言うことで、この会への参加を承諾した次第。



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青年担当司祭=ディエム師
リーダー=みのりさん(✌️)
サブリーダー=すがこさん

当初裏方と言っていた筈なのに、何故だか肩書をつけられてしまい・・・現在はもう一人のサブリーダーと言う扱いです。

一応、中高生にも(仮)として各々リーダーとサブを決めてましたが、どちらも今年受験生となった為 次を任命しなければいけないところです。

 

 

 

 

 

奉仕活動

今日は9時ミサ終了後、信徒有志が集まり教会前庭の草取り作業でした。
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一休みして午後からは新任司祭を連れて、躑躅まつり開催中の稲佐山


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この後、神ノ島へ向かう事になりマリア像を拝み教会を見学しました。
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帰りは木鉢・飽の浦の教会を横目に見ながら戻りました。

平和の種

「平和の種」とは、カトリック西町教会所属の青年会です。

二十年以上前には活発だったと聞く青年会活動も少子化の影響からか、今ではほとんど人が集まらず活動休止状態です。

そんな状態の中、今は吉祥寺教会の助任司祭であるオズワルド神父が声を掛け今一度青年会を立ち上げ、信徒の皆さんにアンケートを取り決まった青年会の呼び名が「平和の種(peace-seeds)」でした。

 

当時の中心メンバーは5人で、リーダーは女性教師、あとは既婚者1、30代男性2、20代男性1と言う構成でした。

せっかく平和の種と言うネーミングも決まり、本格的に動き出そうとしていた矢先、あるメンバーがほとんど顔を出さなくなり、そのうちリーダーも何かと理由を付けて休みがちに・・・

結果なんと一年も立たない内に自然消滅となり

そんなこんなで「平和の種」と言う青年会の呼び名も忘れ去られていました。

 

その後、青年担当司祭が変更となり新たに担当となられたパサラ師がまたもや情熱を燃やして信徒に呼び掛けました。

結果、パサラ師の人柄も相まって今回は15人も集まったのです⁉️

但し、内訳は社会人が3人・大学生が1人それ以外は中高生だった為、青年会とは呼べず結局 青少年会と名乗らざるを得ませんでした。

 

パサラ師は青少年会を立ち上げて直ぐに人事異動となり秋田へ、軌道に乗りつつあった集まりもまたもやと思いましたが、今度は引き継いだディエム師及びブラザー・クリスの頑張りで、なんとか3年になりました。

そのクリスさんがこの度異動となり、インドネシアへ帰国してしまったのです😱

 

今現在、青年担当司祭は空席となっています。青少年会のメンバーも登録上は26名と増えてはいますが、実際に毎回集まるのは3~5名でメンバーも固定化しつつある状態です。

 

それでも将来的には社会人と中高生とを分離し、中高生会と青年会とにして、もう一度「平和の種」と名乗れるようになりたいと考えています。